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覚乗寺高台院霊屋(天山公廟)

覚乗寺高台院霊屋(天山公廟)

 登米伊達第4代の藩主伊達宗倫(むねとも)1640~1670・天山公(てんざんこう)の霊屋で、寛文12年(1672)に建立。

 天山公は幼名を辰之助と言い、伊達政宗の孫であり、仙台伊達家第2代藩主忠宗の五男。仙台伊達家第3代藩主綱宗の兄にあたります。元服して式部宗倫と名乗りました。

 宗倫は、父である忠宗の冥福を祈るため京都嵯峨大覚寺の許可を得て覚乗寺を建立しました。30歳の時江戸から帰国の途中、病を得て仙台邸で亡くなり、ここに埋葬されました。

 廟の大きさは、方三間、桁行・梁間ともに23尺5寸(約7m)、向拝一間、前面縁付で素木造、床板張、屋根は宝形造、木羽葺(こばぶき)、内部には漆塗、胡粉塗、金具で装飾された須弥壇(しゅみだん)があり、その上に方三尺、入母屋造、柿葺(こけらぶき)の家形厨子が置かれ、また、その床下には石畳の墳墓が設けられてます。

 霊屋建築としては、唐様の簡素堅実をとりいれた江戸時代初期の優秀な作であり、厨子にも精巧な工芸の手法が見られる桃山様式の建物です。松島の円通院霊屋と共に仙台藩霊屋建築の秀作と言われています。円通院は忠宗の次男、光宗の霊廟です。

 現在の霊屋は昭和47年3月に、1年数ヶ月の歳月をもって、往時の姿そのままに復元したものです。

昭和28年3月 宮城県重要文化財に指定

廟内は特別に許可を得て撮影しています。

資料は伊達宗弘氏にご協力いただきました。


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